陶芸家・酒井田柿右衛門について

酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)は、江戸時代初期に活躍した陶芸家です。
全国の骨董品を鑑定するTV番組などで、「柿右衛門」という名を聞いた方も多いのではないでしょうか。

酒井田柿右衛門は、1596年(慶長元年)、酒井田円の息子・喜左衛門として、備前国(今の佐賀県)有田で生まれました。
有田と言えば、古来より伊万里焼(有田焼)の産地として有名です。父親である酒井田円西も、良い陶土が取れる有田へ移住して来ました。
喜左衛門は父親と共に、陶器や染付などの磁器を作っていましたが、1643年(寛永末年)、赤絵磁器と呼ばれる陶磁器の焼成に初めて成功しました。
その後彼は、名前を柿右衛門に改めました。

乳白色の素地に、赤・緑・金・青・紫・黒色の彩釉を使い、精緻な模様を描き、低温で焼いて発色させた濁手(にごしで)と、半透明の染付磁器に上絵を焼き付けた染錦手。
二つの技法で作られた作品は、鉢・皿・花瓶・水差し・徳利など、多岐に渡ります。

正保年間(1644〜1648年)から、柿右衛門の作品はヨーロッパにも輸出され始めました。
柿右衛門の作品は、中国やヨーロッパの陶芸家に大きな影響を与えました。
彼の作品を基にして作られた磁器は、柿右衛門様式(Kakiemon-style)として、今日でも広く知られています。
1700年代(18世紀)の初めには、磁器で有名なドイツのマイセン窯や、オランダのデルフト窯が模倣品を作り始め、19世紀にかけて柿右衛門ブームは続きました。
前述した2つの窯の他に、フランスのシャンティイー窯とサンクルー窯、イギリスのチェエルシー窯でも、優れた柿右衛門様式の作品が作られました。

初代酒井田柿右衛門の名を継ぎ、現在に至るまで15代(2015年現在)の柿右衛門が、初代の技術を伝承しています。
1912年(大正元年)には「名工柿右衛門」という歌舞伎が、11代柿右衛門と親交のあった第11代片岡仁左衛門の主演で制作されました。
江戸時代に活躍した柿右衛門(Kakiemon)の名前は、技を受け継ぐ子孫たちや、陶芸を愛する世界中の人によって、現在に至るまで大切に守り伝えられています。

陶芸家とは?

陶芸家とは土を焼く職業のことである。
古来より日本では陶芸家の前身である細工人という道具を作る人が粘土質の土を火で焼くことにより硬くなるときが付いたことが陶芸の始まりである。
古代の陶芸では主に器と呼ばれる器物を製作してきたが、お祭りなどの祭祀に使うための器を縄文土器と呼び、日用品などの背勝つ必需品の器を雑器と呼んでいた。
縄文土器は縄文時代の陶芸文化で、細工人(陶芸家)により神への生贄として縄文土器が製作され、縄文土器の中には獣の心臓を入れて神へ祈りをささげたという。
陶芸家という言葉の概念が定着したのは江戸時代からであり、当時のお茶の世界での器を作る作家のことを陶芸家とよんだ。
陶芸家として始めて成功した人物は京都府の野々村仁清であり仁清は松尾芭蕉や千利休といった文化人が豊臣秀吉にお茶の文化を教える上で必要な器の製作を依頼し、その見返りとして多額の報酬を得たことが陶芸家としての始まりである。
当時、器を作成する人を陶芸家と呼ばず、細工人からより専門的な技術を身に付けた職人と呼ばれており、作家は職人の中で腕が立つ人が作ったものに自分の名前を入れてブランドとして販売したことが作家の始まりである。
そして、作家の中で陶芸を専門とする人のことを陶芸家と呼んだ。

現代の陶芸家

現代では、陶芸家は代々の伝統と名前を受け継いだ末裔が作品美術品として作るが陶芸家であるという位置づけである。
陶芸家の制作スタイルは手作りであるが、現代では工業式生産による器の量産が可能なため陶芸家の手作りの器は比較的高額で美術品に区分されている。
もちろん、生活必需品の器と制作している陶芸家も存在しているが、多くの家庭で使用されている器は陶芸家の手作りのものではなく工場で作られた量産品である。
ちなみに料亭などで見かける割烹食器も、大半は工場で生産される器であり陶芸家の作品で無い場合が多い。

陶芸家の制作技術

陶芸家が作品を作るときには轆轤と呼ばれる土を回転させ、その回転を利用して器の形を作るのが一般的な陶芸家の制作方法だが、工場生産ではローラーマシンと呼ばれる機会を使い量産するのが一般的である。
そういった点で陶芸家の製作技術では量産した食器は制作できず、また陶芸家の技術にはかなりの個人差が出てしまうため上手い人と下手な人の生産技術ではかなりの違いが出てくる。

芸術という世界で生きる

芸術は人間の社会で、人間が人間らしく生きるために、お金よりも心を大切にし、本当の豊かさを育む為に必要とされる行為である。
それは、生活の中でお金が中心となっている現代の風潮のなかで、どこかに人間らしい心を置き去りにしている我々に芸術は語りかけ、忘れかけている人間らしさをさを再び思い出させてくれるという側面がある。
だからこそ芸術はすばらしい。
人間が芸術を忘れ、己の肥大した欲望などに支配されて生きる動物的な生き方は本当の意味で「人として生きた」とは言えない。
そんな生き方の反対側にあるのが、芸術という行為である。

その価値に重要性を見出すか見出さないかはそれぞれの価値観に委ねられているが、芸術は確かに人生を豊かに生きるという側面を持っていることは確かである。
だからこそ、人類にとって普遍的な価値である芸術の世界に一歩足を踏み入れることも自分自身を磨き上げる上では重要ではないだろうか?

芸術家はこんな心構えを持っている?

陶芸家の焼き物

陶芸と縁の深い土地




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