有田町とは?

有田町はすべての陶芸家が憧れる聖地であり、最も陶芸家としての修行が厳しい焼き物の産地である。
轆轤の修行は、たった3ミリでも作った器の形を間違えれば作り直しになり、器の重さもほぼ同じでなければならないほど正確に作らなくてはいけない。
さらに、使用する素材が陶石という轆轤が困難な粘土を使うため、普通の陶芸家では陶石で作品を製作することでさえ困難と言われている。
さらに言えば、有田町に住んでいる人は職人気質であるため、技術に対する指導は厳しく、他の焼き物の産地から来た陶芸家の中には修行に厳しさに耐え切れずに脱落してしまう人が多い。
だからこそ、有田町で作られた焼き物は確かな技術に支えられ、ヨーロッパを初めとする世界各地に輸出され高い評価を得ていた。

江戸時代以前は有田町と言う町は存在しなかったが、磁器作成に必要な陶石が発見され、朝鮮人技術者の李参平が日本に磁器制作の技術をもたらしたために、多くの税金を鍋島直茂が投入し、山を開拓して作られた町である。
有田町は1604年に白磁鉱が泉山で発見され、その後、開発が続けられ1616年に今の町が完成された。
有田町の建造物の一部は江戸時代に建築された建物がリフォームされて今でも使用されていることがある。
しかし、昔の陶芸窯は火の始末が困難な場合があり、度々大火災を経験して建物の多くが焼失しているため、有田町に現存する昔の建築物は年々減少している。

有田陶器市

現在の有田町は、ゴールデンウィーク期間中に有田陶器市というお祭りを開催しており、陶磁器を販売し観光サービスを行っていることで経済が何とか維持できている現状にある。
有田陶器市のときだけ人の数が多いが、普段の有田町は静かであり、人の通りもあまり見かけないためお店は5時から6時で閉店する。
娯楽施設のみ10時まで営業しているが、その理由は有田町の地域住民が多く利用するためである。

 Copyright (C) 2013 陶芸家 All Rights Reserved.