陶芸家とは、いとも崇高な職業である
以前、陶芸を習っていた。
静かな農村の少し小高い場所に窯があり、自然を肌で感じられる環境だ。
民家らしくない佇まいで、作業場のようだが…。
そこが窯であり陶芸教室も行っている事を知ったのは間もなくのこと。
無類の陶器好きだった為、自分で作ってみたいと教室に通うことになった。
そこの先生は、この地で窯を構えるまで大変苦労されたようで、陶芸家を目指し、修業中は生活苦に襲われ、独立しても売れず…
それでも現在まで続けてこられたのは、やはり陶芸への情熱が途絶えなかったからだそうだ。
陶芸の魅力を“土に触れ、精神を統一する時間が自分を癒してくれる。自然の灰を薬に混ぜたり、土を選んだり、常に自然に寄り添った生活が自分を支えてくれている”と。
さらに
窯で焼いたモノは、その焼き具合は神まかせ。
こんな色が出したい、こんな風合いを出したいと思っても間々ならない。
逆に思わぬ作品ができたりする。
それが魅力と先生は言った。
確かに、形にするまでどんなに完璧にできても、焼き具合まではコントロールできない。
作品作りにおいて、他の工芸家の方々と大きく違う点は、その部分だと思う。
つくづく感じる。
陶芸家とは、気長な性格でないと続かないと。
作業工程だけでも種々ある。
土で形を作り、それを乾燥させる。ある程度の時間が必要だ。
その後素焼きし、釉薬をかけ、ようやく本焼きとなる。
窯に入れたり出したり、乾燥させたり、薬をかけたり…時間も手間も相当かかる。
先生もそうであるが、他に出会った陶芸家の方々も皆一応に、どこか風格があり、一喜一憂しない落ちつきが感じられる。
テレビでよく見る、陶芸家が不本意な出来に、作品を割るシーンがあるが、作業工程を考えると気持ちはよく理解できる。
しかし情熱が強すぎると、陶芸家の職業は苦しくなるのではないだろうか。
子供を育てるように、一つ一つの作品に手間をかけ愛情を注ぎ、最終の焼き具合は天に身をまかる。
自然と共に、天に身をまかせ創造する。
陶芸家とは、いとも崇高な職業と感じる。
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