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本来の宗教の役割

宗教の役割についての考察

宗教といえば、堅苦しい教義で人々の欲望をコントロールするものだと思われている。

だけど、本来の宗教の役割とは、そのような偏屈なものではない。


宗教の本来の役割は、普通に人々を救うことにある。

人々を救うとは、宗教の教義によって精神的に人々を救うということだけではなく、肉体的にも経済的にも人々を救うということである。

これを聞くと、 今までの宗教の持っている堅苦しいイメージが一変されるが、本来、宗教とはそのようなものであった。



肉体的に救うとは?

修道院による治療

今では、病院で治療を受けることが当たり前の世の中となっているが、昔は、修道院で修道士が薬を作っていた。

修道士による薬の調合

そして、薬の値段は、 その人の経済力や信仰心に合わせて値段が変わっており、貧しい人には、安い値段(ほぼ無償)で薬を提供していた。

また、医療行為は、病院ではなく修道院で行われていたし、病院の運営は、領主の支援や商人の寄付によって賄われていた。

そのため、病気や怪我から肉体的に人々を救うことは、本来の宗教の大きな役割であった。

経済的に救うとは?

宗教における生活困窮者の救済

今も昔も、 経済的な貧富の差は存在している。

そのため、修道院では生活に困窮した人を、収容したり、施しを与えたりして経済的に救っていた。

現在では、NPO法人の炊き出しや、自治体の生活保護が生活困窮者の救済の役割となっているが、 本来、宗教はその役割を社会の中で担っていたのである。



文化・教育の振興

宗教の役割には、ミサやお祭りなどの宗教行事を通して、人々の教養を高め、心を育んでいたという、文化的な役割も、本来、宗教が担っていた。


日本では寺子屋と言われる庶民の教育が、江戸時代の庶民のの識字率を向上させ、 社会の経済活動を向上させていた。

精神的な救済

人生というのは、様々な悩みがつきものである。

宗教はそれに対して、教義を用いて、人々の精神を支えていた。


しかし、人々の悩みは時代によっても違ってくるし、そもそも人々の悩みというものは、今も昔も十人十色である。

そのため、聖書は、あえて抽象的な表現で書かれており、人々の解釈によって、ある程度自由な解釈ができるが、 それは逆に、様々な時代の人々の精神を支える上では、教義の解釈に幅を持たせることが重要であった。




聖書の解釈は、神父や牧師によって委ねられ、その時代の人々にとっての答えを、状況に応じて導き出せることが、かえって聖書の普遍性を担保していた。

もしも、学術的に聖書がガチガチな文章であれば、科学の発展に伴って様々な学術的な矛盾が生じ、 聖書の内容に普遍性がなかったのである。


宗教は、元々は社会インフラだった

宗教の役割は、元々は社会的なインフラを担うこであった。

それによって、混沌とした社会で、人々は精神性や秩序を保ち続けることができていた。



現在の宗教の問題点

しかし、ここ200年の資本主義の発展で、社会インフラはビジネス化され、宗教も資本主義の軍門に下り、宗教ビジネスと化した。


現在の宗教の役割は、偏狭な教義によって、人々の欲望を押さえつけるような堅苦しいイメージになってしまった。

そのため、宗教そのものが、全体的に衰退していると言える。

そして、テクノロジーの発達による科学万能主義が、宗教の教義を学術化させた。


学術的な解釈による教義の矛盾は、かえって宗教の教義を貶める結果となってしまった。

本来、教義とは、頭で解釈するのではなく、心で解釈するものであり、ある程度抽象的な方が、宗教の普遍性を保つために大事なのである。

2020年10月5日  @sandragon965 コラム
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